書評「らい予防法廃止の歴史 −愛は打ち克ち 城壁崩れ陥ちぬ−」
『医療』1997年08月
本書のサブタイトルに使われている「愛は打ち克ち 城壁崩れ陥ちぬ」は、1956年の第3回世界らい患者デーに際して、ギリシャのサンタ・バーバラの古代らい療養所の正面フロントに刻み込まれた文字だという。
わが国の、強制隔離政策を柱とした「らい予防法」が廃止されたのは1996年4月である。戦後民主主義の発展のもとで、プロミンなどの治療薬が顕著な効果を発揮するようになってから40年余を経て、ようやく廃止が実現したのはなぜか。本書はそのすべてを明らかにしているのではないかと思う。
著者は、多くの方々もご存知のように厚生省公衆衛生局長、医務局長の職にあった人であり、わが国の保健衛生、医療行政のトップとして仕事をした経歴の持ち主である。どうせ行政の側に片寄って書かれたものだろうと思われがちであるが、それが全く違うのである。
「ハンセン(らい)病に冒された不幸に、日本に生まれた不幸」(評者)を背負ったハンセン病患者の無念な人生と、その医療と社会政策の誤りを知りながら、医務局長という立場にあって、それを正せなかった著者自身の人間の物語ともなっている。
本書の構成は、まえがき−津田治子の慟哭」にはじまる。病と隔離に呻吟した一人の患者の慟哭を訴えている。
第一部、「ハンセン病と『らい予防法』」は、現状と課題について述べられており、全体としての問題提起の意味をもたせている。また、らい予防法の問題点についても、医学と法律の両面から論じられている。第二部「国を挙げて患者収容へ」で、旧癩予防法とその時代の歴史と動向が述べられている。第三部「患者の闘いが始まった」では、第二次大戦後の民主化の中での患者自治会の運動を柱にしながら、廃止まで続いた新らい予防法が全患者の反対を押し切って成立した(1953年8月)経過や、ハンセン病をめぐる国内外の動向などを明らかにしている。第四部「らい予防法の廃止に向かって」では、らい予防法をめぐるさまざまな動きが明らかにされており、とくに改正か廃止かで揺れる患者自治会や医療関係者、行政などの動向が詳細に述べられている。第五部「終わりの始まり」は総括であり、“歴史責任の追及は今始まったばかり”で締めくくられている。
本書のほかにたくさんある著者の著書の中に、「現代のスティグマ−ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難」があり、ハンセン病者に加えられた不当なスティグマについて論じ、程度の差はあるものの、同じようなスティグマに苦しんでいる精神病・エイズ・難病等への正しい認識と、適切な施策の実施を提起している。著者にはそうした視野での問題意識があり、自ら実践の場に身をおいていることは知られている。
本書の真髄は人間を主人公にして叙述されていることであり、全編を通して文学的である。この著者の著書は、いつも重いテーマをとりあげているにもかかわらず、それが論文調でなく、赤裸々でドラマチックに書き進められているためか、たいへん読みやすいという特徴がある。
著者はまだ十代の医学生のとき、ハンセン病の解放治療を手伝った経験をもつ。また、戦後間もなく肺結核にかかって入院療養した体験がある。このことが著者自身のその後の精神生活と実践に深くかかわっている、と著者自身が別のところで述べているが、そのことと重ねて読まれれば、いっそう共感をもたれると思う。