読みもの
バラエティな人々
No.1 自分の体が、自分でない?
人間は、誰でも視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚といった5つの感覚に次ぐ6番目の感覚である固有感覚を持っています。これは、自分の体の位置がどこにあるかを記憶する内的感覚で、いわば体のソフトウェアともいうべきもの。ハードウェアである体の一部を事故で失ったときに、ソフトウェアである固有感覚が残ったままの人に、幻覚通が発生するといわれています。反対に、固有感覚がなくなってしまうとどうなるか。身体的にはまったく異常はないのに、自分の体が自分のものとして感じられなくなってしまうのです。想像してみてください。神経が麻痺したわけでも、運動機能がなくなったわけでもないのに、自分の体のイメージを持てない状態のことを。「脊髄を抜かれた実験室のカエルになったような気分」とは、ある患者の弁。これは多発生神経障害の一種で、世界的にも珍しい病気ですが、今までに数例が報告されています。彼らは「体がない」状態のままでずっと生きていかなければならないのです。
No.2 幻の嗅覚。
人間の体というものは不思議なもので、見えないものが見えてくることもあれば、その人にしか聞こえない声が聞こえてくる場合だってあります。これは、嗅覚をなくしてしまったある患者の不思議な話。頭部に障害を受けたために嗅覚を失った男の人が、ひどく悲しんでいたのです。嗅覚など、いままでたいしたものだと思ってもいなかったのに、匂いがないと食べ物も美味しくない。季節も感じられない。つまり、人生をエンジョイするためには嗅覚が必要であることに初めて気付いたのです。彼は、失った嗅覚をとりもどしたいと切望し、以前の記憶にすがって眼にはいるものを順次思い出す作業を続けていました。するとある時、匂いが漂ってくるではありませんか! 医学的には、彼の無嗅覚症は治癒しておりません。しかし、匂いへの痛烈な憧れが大脳皮質を刺激し、本人には「本当の香り」として感じられるようになったのです。これは感覚の代償作用といわれるもので、目や耳の不自由な人におこることがよくあります。
No.3 座頭市も、赤ん坊にゃ負ける。
目が見えない人の生活術は、実に示唆に富んでいます。視力情報の代わりとして、頭の中にモノの位置をインプットし、その情報に従った行動をとっているのです。杖を突きながら街を歩いている視覚障害者を見て、どうして怖くないのだろうと不思議に思いがちですが、彼らの頭の中には通常使う道なら、ほとんど完璧に細かな情報を記憶しているので、一般の人が心配するほど不安ではないとのこと。勘のいい人になると、風の流れや雨の匂い、反響音などから建物の大きさまでも判断できるというのですから、本当に驚いてしまいます。彼らにとってむしろ怖いのは、突然声をかけられたり、点字ブロックの上に車がとめてあったりするといった、予想もつかない事態がおこったときだそうです。またある盲人主婦の話では、日常生活で一番困るのが炊事でも買い物でもなく、男の子の赤ちゃんのおむつ替えのときだとか。赤ちゃんが勢いよく放つおしっこはさすがに避けることができないので、「ホントにこまっちゃう(笑)」。やはり、盲の生活達人にも苦手はあるようでした。
No.4 昔のことだけ、覚えています。
過去の記憶をなくしてしまうのは記憶喪失、物忘れが激しくなった状態を健忘症、それに対して新しい記憶だけを覚えることができない病気が、記憶障害と呼ばれるものです。記憶障害者には記憶を積み重ねるという能力が欠如しているため、ほんの少しの時間の経過で自分の行動のあらゆる意味が分からなくなってしまいます。他人の名前はおろか、顔、自分がなぜそこにいるかという根本的理由さえも思い出すことができません。不思議なのは、病気になる前の記憶だけはしっかりもっているということ。それゆえに、自分の家族や古い友人たちがなぜ知らない間に老けていくのか、まったく理解に苦しんでしまうのです。人間にとって記憶というのは、アイデンティティを確立する上で欠くことができない大切なものです。記憶の積み重ねができない彼らは、自己存在の疑問というテーマと闘いながら、不思議な毎日を生きています。
No.5 四肢麻痺なのに、なぜ手が動く。
交通事故等で首の骨を折ると頚椎損傷となり、首から下の感覚がまるでない四肢麻痺の状態になってしまいます。しかし、頚椎損傷者の中には手動車椅子に乗り、自分で運転までしてしまう人もいます。これは、どうしてでしょうか。答は、人間の感覚神経運動神経が別個に存在することに起因しています。感覚神経が完全に損傷しても、運動神経の一部が少しでも残っている人は、不自由ながらも手を動かすことができるというわけです。どれだけ動かせるようになるのかは、損傷した頚椎の部分によって違うので、個人差があります。そしてもう一つ大きいのが、本人の障害に対する考え方。「どうせ俺なんて」と内にこもってしまい、リハビリにも熱が入らないタイプの人はいつまでったも運動神経は向上しませんが、積極的に障害を受け入れるタイプの人の中には、本来は動くはずのないモノを動かしてしまう人だっているのです。ある頚椎損傷の男性などは、半年かけて職場のビルの人気受付嬢を口説き落とし、結婚に至りました。可能性はチャレンジすることから始まると、彼の周りでは伝説として語りつがれています。
No.6 手を操りながら、夢を見る。
もしも世の中の人々のほとんどが、体にハンデを持っていたとしたら?そんな想像を現実にした地域が、アメリカにありました。それは、マサチューセッツ州マーサーズ・ヴィンヤード島。この島では1960年代に最初のろう者が入植してから長い間、近親者の結婚による劣性遺伝のため4人に1人の割合で、遺伝性聴覚障害が現れ続けました。その結果として、聴覚障害を持たない家族はほとんどいなくなり、島民の全てが手話を話せるようになったのです。島外の人との交流が活発になった現在では、聴覚障害を持つ島民はほとんどいなくなってしまいましたが、この島では依然として手話が日常的に使われています。協会でのヒソヒソ話、離れた相手と会話する場合はもちろんのこと、主婦の井戸端会議にすらも手話が発話の間に飛び出すというのです。ある老婦などは、まるで編み物を編むかのような手つきで、独り言ならぬ一人手話を楽しんだりするのだとか。このように第一言語として手話を学んだ人にとって、手話とは発話の代替言語では決してなく、脳の基礎言語の一つになり得るのだと、アメリカの著名な脳神経学者は語っています。
No.7 人間に、最も嫌われた病。
人類史上、ハンセン病(らい)ほど恐れられた病気は他にないでしょう。抹消神経が冒され、顔や手足などの体に変形を及ぼしたかつての症状から、人間にとっての業病とも呼ばれ、さまざまな差別を生み出してきました。一度感染すると、ライ療養所に強制的に入所させられ、家族とも一生縁を切られてしまい、脱走でもしようものなら、逃亡囚と同じような懲罰が待っている時代があったそうです。ハンセン病というのはライ菌の感染によっておこる慢性伝染病ですが、ライ菌自体はきわめて感染力が弱く、極度の栄養不足などよほど菌に対して抵抗力が弱っているときでないと発病には至りません。しかも現在では医学の発達により、完全に治癒可能な病気になっています。それでもライ療養所に入所しているほとんどの元患者は、いまだに続く世間からの偏見の目におびえ、社会復帰もできずにひっそりと暮らしているのです。人間にとって一番恐ろしいのは、実は偏見という心の病なのかもしれません。
No.8 数字が、見える人たち。
知的障害者の中には、数字に対する能力が特別に優れている人がいます。一番多いのが、カレンダー計算機と呼ばれる人々。何年先の月日であろうとも、その曜日をほとんど瞬間的に言い当てることができるのです。また、一度誰かの誕生日をインプットするとその日を絶対に忘れることがなく、「来年の誕生日は日曜日だね、よかったね」などとアドバイスしてくれたりもします。すごい人になるとカレンダー計算にとどまらず、100桁の数字でも瞬時に記憶してしまう人、20桁の素数を軽々と言い当ててしまう人など、その能力の限界はとどまるところをしりません。ところが彼らの計算能力そのものはきわめて低いもので、単純な足し算や引き算も満足にできないというのです。これは一体どういうことでしょうか。偉大なる数学者には、数字一つひとつがまるで表情を持つ顔のように見えるといいます。もしかしたら彼らにも、数字が視覚の対象として「見える」不思議な能力が潜んでいるのかもしれません。
No.9 ファントムが解明する新事実。
ファントムとは、体の一部分を切断したのに、その後何年にもわたって切断したはずの部位が見えたり感じたりすることをいいます。人によってその感じ方はさまざまなのですが、昔は本人の気のせいであると思われてきました。ところが最近の神経生理学の研究によって、ファントムの存在が医学的にも実証されつつあります。足を切断した人が、ある時脊椎板をずらしてしまった。すると切断したはずの足の部分に幻覚痛がおきた。その後脊椎固定手術をしたら、幻覚痛まで消えてしまったというような事例は、決して笑い話ではありません。存在しない部分に、どうしようもない痛みを感じてしまう。こうしたファントムペイン(幻覚痛)は、失ってしまった部位へのノスタルジーゆえおこる心理現象では決してなく、心と体の不思議な関係を科学的に解明するための大きなヒントなのです。