先達の実践から
『JDジャーナル』1999年12月
「コノ学園二於イテハ夫々ノ児童ノ教育ハ夫々専任ノ教育ノ下ニ当然別個ノ様式ヲ採ルノデアッテ、両者ヲ混在サセルノデハナイ。シカシ生産作業トカ遊ビノ中ニ於テ両者ハ常ニ顔ヲ合セ、協同スル。ソレハコノコト自体ガ適切ナ指導ノモトニアレバ、複雑ナ社会ニ生活スルタメノ相互ノ訓練ニナルノデアッテ、茲ニ言ハバ教育ノ本質的ナ課題ガヒソンデイル。」
この文章は、1946(昭和21)年に設立された近江学園の設立趣意書の中に書かれているものの一部分です。近江学園は、戦災孤児等生活困窮児と知的障害児を収容して教育する目的で設立された施設ですが、引用文の中で『夫々ノ』と言っているのは、この生活困窮児と知的障害児をさしています。
この文章が敗戦の翌年に書かれ、実践されていたことに、私は注意を引かれたのであります。
基本的な教育は、それぞれの児童に適切に対応する方法で行うべきであるが、作業や遊びは、この両者は常に顔を合せ、協同する。そしてそのことが、社会で生活するための相互の訓練になる、という部分にとくに注目していただきたいのです。
近江学園は、教育カリキュラムの中に実作業を組み込み、そのためのいくつかの作業課目が用意されていましたが、この作業は生活困窮児(すなわち健常児)と知的障害児が協同して行なったのであり、また日常生活や遊びなども常に一緒にした。これを意識的に行なったのであります。そのことが障害児だけでなく、健常児にとっても、社会で生きていくためのよい訓練になると考えて実行されたのであります。
これはノーマライゼーションの理念と同質のものであり、敗戦直後のわが国でこのような理念をもって実践されたことに刮目したいのであります。
それから50余年が経った現在、こうした視点からみた現実は、進歩がみられたとは言えない状況です。確かに障害者施策は全体として著しい進歩を遂げています。理念もさらに深められてはいますが、実情は障害種別毎のタテ割制度のもとに、障害者だけの場所は増え続けています。ヨーロッパ各国がデイ・センターを基点として積極的に地域に出て、一般の人々の中で活動する努力している姿や、先達の深い人間観を思うとき、改めてこの国の障害者施策の課題を考えさせられるのであります。