措置か利用か、介護保険の意味
『JDジャーナル』1999年03月
「措置費の上に胡座をかいている経営者」という言葉が使われるようになって久しい。「利用者に適切なサービスをしきれていないのに、施設等の経営は安泰で、職員の処遇だけはキチンと保障されている。どこかおかしい。」という批判は、利用者の中からも、周辺の研究者等からも、最近はよく聞くようになっていた。残念なことに私自身もそういう事実を否定しようがなかった。
今回の推進改革の中で、措置制度が否認され、利用者本位に改善するためとして、利用・契約制度に変えるという方針が示されたとき、これに事業関係者が抵抗する力を持ち得なかったのは当然とも言えるだろう。
しかし利用者本位を大義として、サービスの選択、サービスの利用しやすさ、対等性などを実現するために利用・契約制度に変えることが、本当の意味で利用者本位になるかどうか、改めて吟味してみると疑問が残るのである。
措置制度は「施設利用などのサービスを受けることが適当である者は、本人の意志に反しないかぎり措置しなければならない」との理念のもとに運用されてきた制度であり、行政の責任を重く規定している。
これが利用制度に変わると、利用者負担と公費助成が同時的に決められ、不服審査の制度はあっても事実上空文に等しくなるだけでなく、世界でも例をみない「利用料を払ってサービスを利用する制度」が固定化し、権利としてのサービスの利用制度は存在しなくなる。施設などでの食費を利用者が負担するのは、利用料負担と言わないのが常識であり、私はこの利用料負担を建前とする制度が固定化することに危惧の念を持たざるを得ない。利用者の権利性を中心としたサービスの選択、対等性、サービスの質の向上と確保−そして事業者が胡座をかかない制度を、利用制度実施予定の平成15年までに、提言できないかを最近しきりに思う。
今度の社会福祉構造改革で、一番大きい変化は、介護保険法の制定である。保険制度については議論のあるところではあるが、介護の社会化という点で画期的であると思う。少子・高齢化社会の進展、家族構造や機能の変化などを背景として行われた構造改革とは、まさにこういう改革を言うと私は思う。昭和30年までは一世帯平均構成人員が5人だったものが、今は2.8人と激減している。これに女性の社会進出が進んで、制度としての家族は、直系性家族から夫婦性家族へと変化し、「直系血族及び兄弟姉妹は、互に扶養をする義務がある」(民法877条)は事実上空文化しており、要介護者や障害者・病弱者など、ハンディをもつ人々のみを拘束する悪法と化している。介護保険法はこれまでの家族介護は変えて社会介護システムへの移行である。障害者福祉は依然として家族依存のレベルであるが、これを社会ケアシステムに移行させるチャンスととらえるべきである。