自立と地域社会
『JDジャーナル』1998年06月
『どんな障害であっても、地域の中で住民とともに暮らすことのできる社会』をめざして、「障害者プラン」が実際に機能すること。これが障害者問題全体の今日的課題であることは、改めていうまでもない。
「障害者プラン」にも、表現は異なるが実質的にはそう書いてあるし、ほとんどの人が、それが当然であるという。
だが現実は、政治も行政も、そして障害者問題にかかわっている人々の中でさえ、具体論になるとさまざまである。
現状認識、何をどのように進めるべきか(政策)、あるいは運動論などで、詰めが足りないのである。これほどの大事業に取り組むには、それを推進すべき主体がまだ弱すぎる。私たちが最も心すべき対象は、稼得能力の喪失度の高い人たちであり、自らの労働で低い収入か、または収入を得られない職業的にハンディの大きい人々である。こういう人々が社会のさまざまな経済的、文化的な諸活動に参加し、地域の中で自立して、生きがいのある生活をしていくことのできる社会的条件とはどのようなものか。障害者の側からの施策と、社会そのもののあり方を見直す施策を併行して進めることが求められているが、残念ながらそうはなっていないのである。
わが国の古いかたちの地域社会は崩壊したままである。例外はあるかもしれないが、一般的には地域という空間はあっても、人間関係はきわめて稀薄であり、あるいは切れているとさえいえる状況である。それを埋めているのが会社や職域による人間関係である。急激な工業化社会への移行の過程で、会社人間をつくり出し、地域社会を空白にしたのである。
地域に暮らしている稼得収入が少ない障害者のほとんどは、家族の保護や支援に依存した状況のもとにあることは、誰もが知っている。
成人は、親から独立し自立する(親はいつまでも生きられない)のである。彼らが暮らす地域社会のことを、障害分野にたずさわる私たちの側からも見つめ直し、地域福祉の構築にかかわり、そうしたことを手がかりにしてでも、地域を変えていくことに加わっていくことが必要である。