在宅ワーカーインタビュー その1
障害者支援施設で暮らす日々。それでもここで、少しずつでも働きたい。僕みたいな人はもっとたくさんいるはずです。
成田 昌樹 さん(40代)
(脳梗塞による体幹機能障害、言語障害 1種1級)(es-teamメンバー)
- SOHO開始
- 2009年
- 得意とする仕事
- HTML作成
および開発作業に関わる
ドキュメント作成 等 - 就労場所
- 社会福祉法人翠昴会 障害者支援施設「永幸苑」
今回は、施設の生活の中でSOHO人生をスタートさせた成田さんのご登場です。昨今、入所施設や長期療養病棟の中で暮らしておられる方から、「仕事をしたい」というご希望をよくうかがいます。無理のない範囲で作業時間を確保できれば、成果物をあげること自体は不可能なことではありませんが、やはりそこは自宅SOHOさんとは別の課題もありそうです。インタビューは、底冷えのする2月の中日、千葉県四街道にある長閑な「永幸苑」さんの、暖かい成田さんのお部屋にて行われました。
Q.壁にオリンピック中継のスケジュールが貼ってありますね、スポーツ好きでいらっしゃいますよね。
ええ、バンクーバーは楽しみにしていました。ブログを書いているのですが、そこでも開会式の話題などを書いています。(この時、速報で入った男子フィギュアSPの話等で盛り上がる!)。
Q.さて、お仕事の話に入る前に、SOHOに至るこれまでの道のりを教えて下さい。
わたしは、病気になる前は、SEやプログラミングの仕事をやっていました。倒れた時の任務は、企業からの依頼により、システムの効率が上がるよう調整をするものでした。たとえばディスクを分散させるとかメモリを増やすとか、改善策のマニュアルなども書いていました。そこに、予想もしなかった98年の突然の脳梗塞。いきなり手足が動かなくなった。35才でした。8年入院して、そのあとこの施設に入所しました。
Q.入所されて、確か1年後の2007年に、わたくしども東京コロニーに「仕事がしたい」とう一通のメールをいただくわけですが、このキッカケは何かあったのでしょうか。
入所して1年経った頃、電話線を引いてADSLにしたんです、この時からネットを活用するようになりました。自分にできることといえば、キーボードを使うこと。でもこれがあれば、ものを書いたり、やれることの幅が広がる。メモを見なくても色々なことを記憶し入力ができる。
仕事をしたいと思ったのは、それまではやることもなく、ただただテレビなどで時間をつぶしていたんですが、それよりも遥かにいい時間の使い方だと思ったんです。そこで、ネット検索でコロニーさんを見つけ、「できるかも」とメールいたしました。
Q.この時いただいたメールは今でもとってありますよ。これまでの仕事の履歴もさることながら、非常に社会性が高く配慮のある書き方だったので、「こんな方が療護施設で何もされていないとはもったいない!」と思ったのを覚えています。その後、HTMLのe-ラーニングを受講していただき、SOHOグループes-teamでのお仕事につながったわけですが、開始1年、率直なご感想をどうぞ。
やらせていただいたWEBのコーディングの仕事はとても面白かったです。ただ、悔しかったのは、半分くらいのところで入院してしまい、やり遂げられなかったこと。でもそういう時、代わっていただける仲間がいるというのは有難かったです。また、仕事にまつわる相談も、グループ内ではあんまりできないんじゃないかと思っていましたが、開始当初コーディネーター役のデザイナーの方に、動かないFTPの解決法など教えていただき助かりました。一人で考え込まないでよい、というのは大きいです。勝手な希望を言えば、仕事の量はもう少し多くてもいいでしょうか。わたしは仕事ができる日の8割くらい作業を入れたい。今はその半分くらいかな。
Q.入所施設で働く実態については、まだまだ一般の人は理解できない部分だと思います。
あくまでも成田さんのケースで結構ですので状況をお教えいただけますか、
やはり施設にはそこでのルールがあります。時間も決められていますから、慣れるまでは、途中で入浴があったりするとイライラしていました。が、段々と「午後行事がある日は午前に短い作業を入れよう」などと割り振りができるようになり、それは解決しました。
基本的には、施設の職員の方はわたしが働くことを理解してくれていますし、施設内で収入のある「仕事」をしてもOKです。ただ、スタンスは「自分でやってね」ということ。例えば今やっている確定申告もそう。自分でネットでやっていますが、そうしたことに職員さんの手を煩わせたりはできません。自身の責任のもとでやる、ということです。
Q.では、最後の質問です。100人いれば100人の「働く意味」がある。成田さんの「働く意味」は何でしょうか。
さっきも申しましたが、変な言い方ですが、やっぱり「仕事で時間をつぶしたい」。テレビを見るくらいなら、ずっとそのほうが面白い。それだけです。幸いにも、納期に追われるようなキツイ仕事でないものをやらせてもらってます。自分自身も、迷惑をかけないで、きちんとできる仕事をしたい。未経験のものにトライするようなものもいいけど、やったことのあるものや、過去の経験につながるようなものを中心にこれからも頑張っていきたいです。
<インタビューを終えて>
「SEをやっていたと言っても、当時はUSBなんてインターフェースもなかった時代ですからね」と笑う成田さん。技術者だった過去の経験が今につながっているのは自明のことですが、新しい情報もネットで仕入れ独学をかかしません。会社だろうと家だろうと施設だろうと、どこで働こうとも、やっぱりこの姿勢があるかないか、なんですよね。
施設の職員の方々は、いつも我々が打ち合わせなどでお邪魔すると暖かく迎えて下さいます。生活の支えはお任せするとして、もう少し「仕事」に関わる部分はes-teamでキメ細かく支えたいところ。そのためには、在宅就業支援団体の活動にも、福祉施設と同様の意義を認めていただき、公費による支援がほしいところです。
社会福祉法人東京コロニー職能開発室発行「トライアングルVol.49」より抜粋
在宅ワーカーインタビュー その2
「チャレンジすること、つながること。そこに喜びがあるから、仕事も続けられます。」
橋沢 春一 さん (30代)
(脳性麻痺 1種1級)
(IT技術者在宅養成講座1996年修了)
- SOHO開始時期
- 1996年
- 得意とする仕事
- HTML作成およびWEBプログラミングを中心とした開発作業
- 就労場所
- 自宅
今回は、SOHO生活13年の橋沢春一さんが満を持してのご登場です。ベテランSOHOの橋沢さんは、Windows黎明期の時にコロニーの在宅パソコン講習をスタートされました。ITの新しい波を何度も乗り越えながら、現在コロニーの在宅就労チーム「es-team(エス・チーム)」の中核であり貴重なムードメーカー。どんなお話が聞けるでしょう。
Q.2年間のパソコン教育が終わってから、すぐにSOHO活動に入られたのですか?
その後5年くらいは「ONE・STEP企画」という修了生の自主グループを作って、そこでデータ入力やソフト開発をしていました。ただ、それはまだ教育の延長といった感じで、気持ちの上では「仕事」という意識はなかったと思います。変わったのは、2000年からスタートしたSOHOチーム「es-team」になってからでしょうか(注1)。これはコロニーさんとタッグを組んで事業として開始していますから、僕は一事業主としての参加であり、まさにビジネスです。
Q.もう少し具体的に、その「ビジネス」感をお聞かせいただけますか?
まず収入が教育の延長時代よりも増えました。それと「これが、自分が責任を持つ仕事なんだ!」という強い気持ち。お客様を意識するということかもしれません。「es-team」になってからは、直接クライアントさんとコンタクトを取ることも多くなりましたから。これはSOHOビギナーにとってはいいことだと思いますよ、お客様と向かい合うことで初めて感じる怖さ、重み、意欲ってありますから。
それと、グループ就労なので、チームでできるビジネスにも興味を持つようになりました。売上はもちろん、チームワーク感のアップにもつながるのがよいと思います。
Q.なるほど。ただ一般的にSOHOチームの場合、メンバーの目標目的も一様ではありませんし、稼ぎ頭が就職して抜ける...という事態もよくありますよね(笑)。
ええ、確かに難しい面もありますね。メンバーの就職はもちろん、独立もあるでしょう。僕だっていいお話があれば就職も考えます(笑)。でも、たとえ通過点としての在籍だったとしても、今その時同じチームにいるわけですから何か共有できると思う。たとえば、以前にメンバーみんなで作った「es-team box」(注2)というガイドラインなどがそう。集団で仕事をする場合の作業の標準化を体験したことは、その後会社員になろうとフリーランスのままだろうと、間違いなく役に立つはずです。
Q.もう少しSOHOというお立場について突っ込ませてください。教育延長時代も含んでの13年、フリーでやってこられた間に身につけられた考え方があれば教えてもらえますか。
僕は就職したことがないので単純比較はできませんが、多分SOHOのいいとこって何と言っても自由さだと思います。時間の制限を誰にされることもないでしょ。これは最高にいいことで、最高に辛いことですよね。仕事を取るも取らないも、スケジュール含め全部丸ごと自分で受け止めるということですから。でもその分、「一事業主」という誇りというか自負はある。就職するより自分にはやりがいがあるのかも、と考えたりもします。
それと、"ものづくり"への努力を一人で常にやっていくこと。僕は開発者ですから、カンを忘れないよう、毎日プログラムのコードを読むようにしています。過去の自分の作ったものとか他人のもの。新しい技術も大事ですが、案外昔の技術も必要なケースがあるのです。"ものづくり根性"はSOHOで身に付きました。仕事をし続けている間は、ずっと忘れないで持っていたいですね。
Q.話は変わりますが、橋沢さんは仕事人である他に、実は趣味の人であり、地域活動の人でもあるとか。
ええ、ともかく楽しむことが大事、楽しくなければやってられません(笑)。
何でもチャレンジすること、人と繋がること、これらが僕の生き甲斐です。趣味のダイビングは高校卒業時からやってますし、地域でのIT支援活動(高齢の方、障害のある方を中心)はお金をもらわない「仕事」である、とさえ捉えています。いずれも喜びそのものですね。僕はワガママですから、喜びがないと何事も続かないんですよ(笑)。
Q.橋沢さんのそうしたお話は、うかがっているだけで楽しくなりますね。さて、そろそろまとめに入ります、恒例の、後に続く皆様へのお言葉を!
数か月前、実はSOHOチームを2か月だけ抜けて、ある会社の専属のプログラマーをやりました。その時心に浮かんだことは、「僕が担当していたNGOのあのWEBは誰がやるんだろう」ということ。これには2つ意味があり、「ちゃんと後任がいるだろうか」という心配と、「あれは自分のものだった」というちょっぴり淋しい気もちです。この後者の気持ちが「仕事」への愛着や責任なんだと思います。こういう気持ちを人生で知ることができるのは、やっぱり幸せだと感じますね。
最後に僕の自論は、人生は3C(Chance Challenge Change)の繰り返しだということ。何事にもチャンスがあり、それにチャレンジをし、チャレンジしたら必ず何かが変わる。変わり続ける事が大切なんだと思います。みなさーん、楽しく3Cでイキましょう!!(笑)
(1) SOHOグループ「es-team(エス・チーム)。在宅就業支援団体のひとつ、(福)東京コロニーが運営する障害のある人たちのSOHOチーム。雇用以外の働き方として、WEB制作やデザインの仕事をチームで行っている。
(2) es-team(エス・チーム)において、SOHOグループの作業標準化のためのガイドラインを自ら作成しました。
<インタビューを終えて>
人間としてバランスよく成長する、というのは橋沢さんのことを言うのではないかといつも思っています。初めてお会いしてから15年が経ち、お互いすっかり大人に?なってしまいましたが、少年のような表情を時折される橋沢さんは、いつも、仕事の仲間、ダイビングの仲間、地域活動の仲間を大事にされています。このバランスや配分を守っていこうとする気持ちが、知らず知らずSOHOの方向に駆り立てるのかもしれませんね。これからも後輩たちに色々な示唆をください。
社会福祉法人東京コロニー職能開発室発行「トライアングルVol.47」より抜粋